院長紹介
ご挨拶
はじめまして。藤沢市にある辻堂脳神経・脊椎クリニック院長の中川祐と申します。
14年間の病院勤務を経て、この地に開業させていただきました。
「頭や背骨の相談所」
これまで慶應義塾大学医学部脳神経外科医局に属し、脳神経外科医として大学病院や総合病院で勤務し、多くの患者様の診療にあたらせていただきました。急性期病院での脳神経外科医は重症で失われつつある命に対し全力で立ち向かう手術やカテーテル治療を主に担当するため、人生の全てを捧げるに値する仕事でありました。
一方で何年も急性期病院で診療に従事していると、多くの患者様との接点が短いことが気がかりとなってきておりました。日本では医療資源の効率化のため、急性期の治療を終えると、多くの患者様の診療は地域のかかりつけ医にバトンタッチすることとなります。
神経疾患は癌のように進行・悪化していくことは多くないですが、てんかんや痙縮といった「脳」や「脊髄」ならではの症状の変化を起こしていくことがあります。脳の病気の予防のための生活習慣病の管理だけではなく、そのような「神経」の状態の変化に機微に対応できるかかりつけ医がもっと必要だとも考えるようになりました。
そのため「神経」のプロとして気軽にどんな些細なことでも相談していただけるクリニックを目指して、辻堂脳神経・脊椎クリニックを開院いたしました。この地で長く皆様の診療にあたらせていただきたいと思っております。
「ここに来れば安心する」
当院は「自分の家族に受けさせたい医療」を提供し、「皆様に安心していただけるクリニック」を目指しております。常に「地域に根ざした診療」を行っていくために、医師個人として、またチームとして日々改善・進化を続けていく所存です。どうぞ、ご意見やご要望がございましたら、何なりと申し付けください。
「皆様の不安をなるべく早く和らげる」
具合が悪くなっても忙しいために病院には受診できず、さらに症状が悪化して不安が強まってから受診したことはないでしょうか?場合によっては、その日には検査ができず、結果を聞くまで不安が続くことはなかったでしょうか?
脳では急速に症状が進行することがあるため、その間に病状が悪化してしまうこともあるかもしれません。
当院では脳疾患の精密検査に欠かせないCTとMRI検査を導入しています。患者様の不安をなるべく早く解消できるように、即日MRI検査を行い、すぐに結果の説明が可能です。ごく軽度の症状、いつもと同じような症状から大きな病気が見つかることも経験します。「これはもしかして脳の病状?」と思いましたらお気軽にご相談ください。
「最も良い医療を押し付けるのではなく、納得できる治療を選択する」
医療の世界は日々進歩しており、それに伴い治療が変更となることもあります。いくら「この医療は最も良い治療である」と言われても、いつも受けていた治療が変更になる際は不安はつきものです。「きつい治療ではないだろうか」、「副作用が出たりしないだろうか」、「費用が高くならないだろうか」など不安は様々だと思います。
最も良いとされる最新の医療を機械的に割り当てるのではなく、一人一人相談してご納得いただける治療をテーラーメイドしていくことを心がけています。治療方針に疑問や不安がある際は、必ずご相談ください。
略歴
- 1996年 藤沢市立鵠洋小学校 卒業
- 1999年 藤沢市立鵠沼中学校 卒業
- 2002年 慶應義塾高等学校 卒業
- 2008年 慶應義塾大学医学部 卒業
- 2008〜2010年 横浜市立市民病院 初期臨床研修医
- 2010年 慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室 入局
- 2010〜2011年 済生会宇都宮病院 脳神経外科
- 2011〜2012年 足利赤十字病院 脳神経外科
- 2012〜2017年 慶應義塾大学病院 脳神経外科助教
- 2017〜2018年 日野市立病院 脳神経外科
- 2018〜2023年 済生会横浜市東部病院 脳神経外科医長
- 2023年 辻堂脳神経・脊椎クリニック院長
資格・所属学会
医師免許
医学博士(慶應義塾大学)
日本脳神経外科学会 専門医・指導医
日本脳神経血管内治療学会 専門医
日本神経内視鏡学会 技術認定医
日本認知症学会
日本頭痛学会
日本脳神経外科漢方医学会
辻堂脳神経・脊椎クリニックのホームページに来ていただきありがとうございます!
以下は当院にて診療にあたる私のことを知っていただければと思い、書かせていただいた文章です。
大した内容ではありませんが、受診される前に、こちらも参考にしていただければ嬉しいです。
片頭痛との付き合い
初めての片頭痛
私と片頭痛との関係は脳神経外科医となる遥か以前、中学生時代から始まりました。
それまで至って健康に生活していた中学生時代の私に、ある日、激しい頭痛が襲ってきたのです。ひどい頭痛と吐き気のため静かな保健室で休んだ記憶があります。
それまで腹痛を起こすことはありましたが、頭痛はこの時が初めての経験で辛い頭痛は2時間ほど続きました。これが私の初めての片頭痛でした。
反復性片頭痛に悩んだ高校・大学時代
その後は、月に2〜3回ほど視野の左上方にキラキラと光るガラスのようなものが見え(閃輝暗点)、約15分後に目の症状が治ると同時に激しい拍動性の頭痛が襲ってくるようになりました。当時の私は非常に典型的な「前兆を伴う片頭痛」でした。
高校・大学に進学してからも片頭痛は変わらず繰り返し、しかも頭痛の持続時間が長くなり、必ず嘔吐もするようになりました。市販の頭痛薬を内服しても改善せず、学業や部活動に大きな支障を及ぼしていたため、この時点で初めて病院に受診しました。この当時、トリプタン製剤がちょうど発売されたタイミングであったため、トリプタンを頓服で使用していましたが、私の場合はほぼ効果がない状況でした。
部活動の試合や大学の試験、旅行先などで片頭痛になって非常に辛かったことを覚えています。
生活習慣の改善により片頭痛が激減
その後、初期研修医になった際にも職務中に片頭痛が出現したらどうしようかと不安を抱えていました。
しかし医師になり片頭痛に関する知識を習得し、頭痛を起こしにくいとされる食生活や生活リズムを心がけたところ、幸いにも片頭痛が激減しました。毎月のように悩まされていた片頭痛は年に1度あるかどうか、というところまで減りました。
片頭痛に苦しむ方の負担を少しでも軽減したい
私のように生活習慣だけで、ここまで著効する方は珍しいですが、生活習慣の改善により頭痛が減少することはよく経験します。また現在では20年前と異なり、片頭痛に対する鎮痛薬、予防薬に関してかなり効果的な新薬が登場しています。また西洋医学のみでは改善ができなかった場合でも、これを補填するように漢方薬による頭痛診療が普及してきており、片頭痛の負担をはるかに軽減できるようになってきています。
片頭痛は痛みがない時にも「いつ症状か出るかわからない」という不安を抱えることも多く、生活の質を大きく低下させることがあります。これは意外と多く経験されることであり、片頭痛に苦しむ方の頭痛の頻度を少しでも減らし、また頭痛の症状を軽くし、生活の質を改善できるようにお手伝いをさせていただくことが私の使命だと考えています。
なぜ脳神経外科医になったのか
好奇心旺盛な幼少期
幼少期の私は非常に好奇心が旺盛であり、目に入るものほぼ全てが楽しそうに見え、興味を示していました。そのため友人達が行っている習い事のほぼ全てを「自分もやりたい」と親にお願いしていました。サッカー、水泳、体操教室、テニス、習字、KUMONなどを掛け持ちし、ほぼ毎日習い事に通う日々でした。これだけ多くの習い事をやらせてくれた両親には感謝しかありません。
スポーツ科学に興味を持ち、夢はスポーツドクター!
幼少期の経験からスポーツが大好きとなり、中学ではサッカー部に、高校では器械体操部に所属しました。この器械体操部に入部したことが一つの転機となりました。
器械体操は身体をうまく操作し、いろいろな技を出来るように日々練習を行います。どんなスポーツでも同じだと思いますが、身体の使い方が重要であり、技ができる出来ないといったわかりやすい形で結果に表れます。そのため練習をビデオ撮影し、どこが悪いか、何が足りないかを分析し修正していきます。筋力が足りなければ筋トレをし、身体の使い方が悪かったりタイミングが合っていなければ練習で修正します。このようなことを繰り返すうちに、スポーツ科学に非常に興味を持つようになりました。将来はスポーツ科学を勉強し、スポーツドクターとして大好きなスポーツに関わっていきたいと考え、医学部への進学を決めました。
社会人になっても好奇心はおさまらず…
幸いにも医学部へ、そして医師国家試験にも合格し、初期臨床研修が始まると再び私の旺盛な好奇心が顔を出します。
これには初期臨床研修制度のスーパーローテーション方式が関わっています。現在の医師は国家試験合格後の2年間は初期臨床研修医として複数の診療科をローテーションすることとなります。私も循環器内科、消化器内科、呼吸器内科、腎臓内科、糖尿病内科、血液内科、消化器外科、救急部、小児科、産婦人科、精神科、麻酔科といった診療科目を1〜2ヶ月ごとに研修でローテーションしました。そして全ての診療科目に異なった面白みがあり、やりがいを感じました。そのためスポーツドクターになりたかった私は整形外科志望でありましたが、専門の診療科目を決める頃にはその気持ちは揺らいでいました。今後の長い人生を、熱意を持ってやり通すことができる診療科はどの科なのか本当に悩みました。最終的には整形外科、脳神経外科、循環器内科の3つの診療科目から決めることとしました。
私は自分を成長させ、これまで出来なかったことが出来るようになるという達成感を生きがいとしています。そのため診療科目を決める際も、2つの領域で自分を成長させ続けることにやりがいを持てるかどうかを重視しました。一つは学問として発展性、もう一つは手技の難易度が高いかどうかです。脳というまだ未知な領域が多い臓器は学問的に発展する余地が大きく、また顕微鏡を用いる脳神経外科の手術手技は難易度が高いだろうと考え、自分をより成長させ続けられる環境を作りやすいのが脳神経外科だと考えました。振り返って考えてみれば、どの診療科においても学問的な探究に終わりはなく、手技においても完成はないので脳神経外科が特別ではないのですが、このようにして慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室の門を叩くこととなりました。
多くのことを学んだ勤務医時代
研修医が修了すると、脳神経外科医としての1年目は済生会宇都宮病院へ、2年目は足利赤十字病院に赴任しました。有り難いことに、どちらも慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室の関連病院としてトップレベルのオペ件数を誇る病院でありました。救急が非常に充実しており、脳卒中や重症外傷を中心に、その他にも脊椎の手術など非常に多くの患者様の治療にあたらせていただきました。
脳神経外科3年目からは慶應義塾大学病院に帰院し、大学病院以外ではなかなか経験できない世界最高峰の頭蓋底手術や頻度の少ない脳腫瘍の患者様を担当させていただきました。また北は栃木県から南は静岡県まで数多くの病院で外来診療を行わせていただき、頭痛やてんかん、腰痛や頚部痛といった脊椎疾患の診療にも携わらせていただきました。専門医試験に合格した後は悪性神経膠腫の遺伝子に関する研究で学位を取得いたしました。
2018年からは慶應義塾大学医学部脳神経外科学教室の関連病院で最も手術件数の多い済生会横浜市東部病院へ赴任し、1000件以上の手術を執刀致しました。
これまで培った経験や専門知識を活かし、脳と脊椎疾患に関して診断と治療を受けられるクリニックを目指していきたいと思っております。